介護職を続ける中で、悩みの一つとしてよく聞かれるものに腰痛があります。悪化すると仕事を続けられなくなるほどの問題まで発展しかねませんが、ボディメカニクスを応用した介助方法が身につけば、腰への負担を軽減することが可能です。
本記事では身体の動きについてのスペシャリストである作業療法士の筆者が、ボディメカニクスの基本から実践的な活用方法まで、詳しくご紹介します。
この記事の内容
ボディメカニクスとは?
ボディメカニクスという単語は、身体を効率良く安全に動かすための原理や方法として使われています。
とくに、介護や医療の現場での腰痛対策として重要な役割を果たしています。介助者だけでなくご利用者様の負担を減らすうえでも、ボディメカニクスの理解は欠かせません。
正しいボディメカニクスを理解し実践することで、介助者の身体への負担を軽減でき、ご利用者様にとっても安全で安心できる介助を提供することが可能です。
ボディメカニクスの8原則
ボディメカニクスには8つの原則があります。
- 支持基底面を広く取るほど身体は安定する
- 介助者とご利用者様双方の重心を近づける
- 大きな筋群を使い、水平移動を使う
- 身体を小さくまとめる
- ご利用者様を手前に引く
- 介助者の重心移動でご利用者様を動かす
- 身体をねじらず、肩と腰を平行に保つ
- てこの原理
8つの原則をそれぞれ具体的にみていきましょう。
支持基底面を広く取るほど身体は安定する
支持基底面(しじきていめん)とは、身体が地面や床と接して支えている範囲のことです。例えば、足をそろえて立った状態と足を開いて立った状態では、足を開いた支持基底面が広くなり、より安定します。
支持基底面は広ければ広いほど、バランスが取りやすくなります。
介助者とご利用者様双方の重心を近づける
介助者とご利用者様の重心が近いほど、動作がよりスムーズになります。
とくに身体を密着させることで、余分な力を使わなくて済むでしょう。
大きな筋群を使い、水平移動を使う
介助するときは大きな筋群を活用し、腕だけでなく足や全体の筋肉を使って力を分散しましょう。
重いものを持ち上げるときは、重力に逆らわず水平に動かすことで、身体への負担を減らせます。
身体を小さくまとめる
ご利用者様の腕や足を組み、身体がベッドなどに摩擦する面積を少なくしましょう。
移動時の摩擦や抵抗を軽減できます。
ご利用者様を手前に引く
押すより引く動作の方が、力を効率的に支え、少ない力で移動できます。
介助者の重心移動でご利用者様を動かす
背筋を伸ばし、膝の屈伸を使うと腰への負担は軽減されるでしょう。
足先を移動する方向に向け、膝の屈伸を利用して重心を移動させることで、安定した介助が可能です。
身体をねじらず、肩と腰を平行に保つ
不自然に背中を曲げたりねじったりすると、姿勢が不安定となり力がうまく出せません。
同時に腰への負担もかかるため注意が必要です。常に肩と腰を平行に保ち、まっすぐな姿勢を意識しましょう。
てこの原理
てこの原理である支点・力点・作用点を意識すれば、小さな力で大きなものを動かせます。
例えばベッドサイドに介助者の膝を押しつける、介助者の肘をベッド上につくなど、肘や膝を支点に動かすことで効率的な介助が可能です。
ボディメカニクスを習得するメリット
ボディメカニクスを習得すると介護する側、される側の双方にメリットがあります。それぞれのメリットは以下の通りです。
介護する側の負担軽減
ボディメカニクスを習得することで、介助者の身体への負担を軽減できます。
介助者が経験する身体的な負担の中でも多いのが腰痛です。腰痛は前屈動作や重いものを持ち上げる動きで、筋肉や靭帯、腰部の骨や関節などに負担がかかり起こります。さらに、姿勢やひねり、振動なども腰痛を悪化させる要因です。
介護現場で腰痛を起こしやすい動作には、以下のものがあります。
- ご利用者様を頻繁に抱きかかえる
- 重量物を頻繁に持ち上げる
- 重量物を押したり、引いたりする
- 腰を深く曲げる
- 腰をひねったりすることが多い
- 急激な姿勢の返還
- 長時間同じ姿勢で仕事をする
介護現場では前屈や腰のひねりを伴った動きが多いです。また、人を抱えたり重たいものを持ったりする場面も多く腰への負担が常にかかります。
腰痛は単なる痛みではなく、介護の仕事そのものを続けられなくする深刻な問題です。痛みがひどくなると、仕事に集中できず、同僚に負担を掛けてしまい、申し訳ない気持ちになります。
最悪の場合、「このまま働き続けられない」と感じ、仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれることもあるでしょう。
腰痛が悪化する前に、ボディメカニクスを応用した介助方法で腰痛対策を心掛けることは、介護する側の身体と心を守る上でとても大切です。
腰痛に関しては以下の記事でもご紹介しているのでご確認ください。
介護される側の負担軽減
介護する際に介助者自身が無理な動きをすると、介護される方にも負担を掛ける可能性があります。
無理な姿勢で介助をおこなうことによって、必要以上に力が入りすぎたり、安全面への配慮が不じゅうぶんとなったりするでしょう。
また、余裕がなくなると、立ち上がりを介助する際に勢いがつきすぎてしまったり、ご利用者様の身体を車椅子や家具などにぶつけてしまったりと危険が高まります。
ボディメカニクスを応用した介助は、介助者の負担が軽減されるため、介護される方も負担を感じにくくなります。身体の動かし方に注意しながら介助をおこなうことで、安全で快適な介護を提供できるでしょう。
介護現場で活かせるボディメカニクスの実践例
ボディメカニクスを応用した介助方法についてご紹介します。
本章では身体の基本的な動きである、下記の4つの介助方法についてまとめました。
- 寝返り
- 起き上がり
- 立ち上がり
- 移乗
ボディメカニクスの8つの原則を意識しながら実践してみましょう。
寝返りの介助
寝返りの介助方法については以下の通りです。
- ベッドを介助者の腰より高い位置まで上げる
- 膝を曲げ、両手を胸の上で組んでもらう
- 「おへそをのぞきこんでください」と声を掛け、頭を上げてもらう
- 膝、腰、肩甲骨の順に寝返りさせたい方向に身体を倒していく
両膝を曲げ、両手を組むことで支持基底面が減ります。支持基底面は広いと安定し、狭いと不安定になるため、支持基底面が減ることで身体は動きやすくなるのです。
また、頭を上げてもらうことで腹筋の力が入りやすくなり、効率的に寝返りが可能となります。
起き上がりの介助
側臥位(横向きに寝ている状態)から端座位(座った状態)への起き上がり介助法をご紹介します。今回はイメージがつきやすいように、ご利用者様の右半身を下にして、介助者側に顔を向けた状態の側臥位を例にご説明します。
- ご利用者様の両足をベッドからゆっくりおろす
- 介助者の左手をご利用者様の首の下から入れ、ご利用者様の左肩にそえる
※この際、介助者の肘でご利用者様の頭を支える - 介助者の右手をご利用者様の骨盤あたりに置く
- 骨盤を支点にご利用者様の上半身を手前に弧をえがくように起こす
肩甲骨を引き寄せた肘を固定し、重心移動を意識しながらゆっくりと身体を起こす。ご利用者様の頭は介助者に近づけるように内回りで起こす
両足をベッド下におろすことで、腰を支点としたてこの原理で上半身を持ち上げやすくなります。足をおろした後、ご利用者様の身体がベッドから滑り落ちないように注意しましょう。
立ち上がりの介助
椅子やトイレなどで応用できる立ち上がりの介助法をご紹介します。ソファなどの低い位置からでも活用できるので、ポイントを意識しながら実践してみましょう。
- ご利用者様が椅子や車椅子に深く座っている場合、浅く座ってもらう
- ご利用者様の両足を少し後ろに引いてもらう
- 「前にお辞儀をしてください」と声掛けし、ご利用者様に前傾を促す
- 介助者は膝を曲げて腰を落としたままご利用者様の脇の下から両手を回し肩甲骨に添える
※この際、介助者は背筋を伸ばしたままた骨盤を前傾させて上半身を少し前に倒し、ご利用者様の上半身と密着させる - ご利用者様には両手を介助者の肩に回してもらう
- 介助者は両手で肩甲骨を支えたまま膝を伸ばして立ち上がる
筆者は介護現場で立ち上がりの介助時に、前傾を促さず真上に立たせようとして苦労する介護職員を何度もみてきました。お辞儀を促すことで重心が前方に移動し、お尻が椅子から離れやすくなるのでぜひとも活用しましょう。
腕の力で抱え上げず、介助者の重心を落とし膝の屈伸を使うことでも効率良く立ち上がらせることが可能です。
移乗の介助
移乗の介助方法はさまざまな種類があり、本記事では立位を取らずに移乗する方法をご紹介します。ベッドから車椅子への移乗を例に説明します。
- 車椅子はベッドに対し約30度の位置に設置する
- ブレーキを掛け、アームサポートやフットサポートが外せるタイプは外して準備する
- ご利用者様にベッドに浅く座り直してもらう
- ベッドの高さを車椅子の高さと同じか、少し高くする(両足がつく高さで止める)
- ご利用者様の両足を少し後ろに引いてもらう
- 介助者はご利用者様の脇の下から両手を通し、肩甲骨を両手で支えご利用者様に密着する
- 介助者は腰を落とし、前傾姿勢にする
- ご利用者様の身体を前に肩向け、お尻の高さを保ったまま水平に回転させる
- 車椅子の上に身体が乗ったらゆっくりと膝を曲げて重心を落とし、座らせる
身体を密着させることで、介助者とご利用者様の重心が近くなりスムーズに動かせるでしょう。立位を取らず水平方向に回転させれば、重心の上下移動が減るため身体への負担を軽減できます。
移乗については以下の記事にも詳しく紹介していますのでご参照ください。
実践時の注意点
ボディメカニクスを活用するにあたり、さまざまな注意点を意識する必要があります。ご利用者様の能力を引き出せたり、事故のリスクを減らせたりできる注意点をまとめましたので、参考にしてください。
- 具体的な声掛け
- ご利用者様の力を尊重
- 安全性の確認
1つずつ解説していきます。
具体的な声掛け
介助する際はご利用者様に今からどのような動きをするのか具体的に声掛けをしましょう。急に身体を動かすと介護される方は何が起こるか分からず、不安や恐怖を感じてしまうかもしれません。
例えば、
「今から足を曲げます」
「身体を前に倒しますから、一緒にやっていきましょう」
「一緒に車椅子に移りましょう」
といった具体的な声掛けをすることで、ご利用者様は安心しやすくなります。自分の身体がどうなるのかを理解でき、心の準備が整うことで不安を軽減しやすくなるからです。
声掛けの際は声のトーンや言葉遣いにも配慮し、優しく丁寧に接することを心がけましょう。
ご利用者様の力を尊重
介護現場では忙しさのあまり、ついスピードを重視しすぎた介助になってしまうことがあります。ご利用者様が本来持っている力を無視して、無理に抱え上げたり、勢い任せに介助したりすると、逆に負担を掛けてしまうでしょう。
具体的な声掛けをおこなうと介護される方が持つ力を引き出すことができます。声掛けやご利用者様の動きを待つことで、ご利用者様が自分の力を最大限に活かせるでしょう。
ご利用者様の自信や意欲につながり、自分でできることが増えたことで結果として介助量の軽減になる可能性があります。
安全性の確認
介助をする際はどうしても注意がご利用者様ばかりに向きがちです。障害物となるものはないか、移乗時は車椅子のブレーキがしっかりかかっているかなど、動作前の安全確認を怠らないようにしましょう。
とくにご利用者様の手や足の位置は、介助中にはみえにくい部分でもあります。ものにぶつけたり挟まったりしないよう注意を払いましょう。
介護場面で多いヒヤリハットに関しては、以下の記事をご参照ください。
ボディメカニクスをより深く学ぶには
ボディメカニクスの概要が分かったとしても、正しい方法での実践が伴わないとコツがつかみにくいでしょう。本章ではボディメカニクスをより詳しく学ぶ方法について、ご紹介します。
理学療法士や作業療法士に聞く
理学療法士や作業療法士は、身体の動きに関するスペシャリストです。職場に理学療法士や作業療法士がいるなら、ボディメカニクスを応用した介助方法について積極的に聞きましょう。
解剖学や運動学といったボディメカニクスの基礎となる科目は、理学療法士や作業療法士の国家資格を取得するための必須科目となっているため、養成校で必ず学んでいます。
口頭で聞くだけでなく実際の介助方法をみてもらい、何が良くて何が改善点なのかアドバイスをもらうことでより早く技術を習得できるでしょう。
研修会に参加する
各都道府県の介護福祉士会や地域の福祉団体で、ボディメカニクスを含む介護技術の研修やセミナーを開催していることが多いです。
研修に参加することで、最新の技術や知識を身につけることができるでしょう。同じ目標を持つ仲間との交流ができるため、情報共有や技術の向上にも役立ちます。
参考動画をみて同僚と練習する
近年、インターネットにはさまざまな介護技術やボディメカニクスに関する参考動画が存在します。自分のペースで勉強できるので、ぜひとも活用しましょう。
同僚と一緒に動画を視聴しながら介助の練習をおこなうことで、より詳しく理解を深められます。お互いに改善点をフィードバックし合いながら、技術の向上に努めていきましょう。
ボディメカニクス以外にも!介護負担の軽減方法
ボディメカニクスを応用しながら、福祉用具も活用することで介護負担はかなり軽減できます。本記事では介護に役立つおすすめの福祉用具を3つご紹介します。
スライディングボードの活用
移乗時にスライディングボードを活用することで、介助者の腰痛予防やご利用者様の不安を減らすことが可能です。
ボードの上を滑らせることで、小さな力でご利用者様を安全に移乗させることができます。とくに体重が重いご利用者様でも楽な力で移乗できるので、介助者がご利用者様より身体が小さくても安心して使えます。
スライディングシートの活用
スライディングボードと同じ滑らせる福祉用具として、スライディングシートがあります。シートはベッド上で上下や左右にご利用者様を移動させたいときに役立つ、大変便利な福祉用具です。
ご利用者様を持ち上げずに移動できるため、介助者の肩や腰への負担がかなり軽減できるでしょう。体重が重く2人介助を必要とする方でも、シートを使えば1人介助でできるケースも少なくありません。
スライディングシートの価格は5,000円以内のものが多いため、職場で購入する場合に提案しやすい価格と言えるでしょう。
リフトの導入
リフトを使用すると、介助者とご利用者様双方の身体への負担を減らせます。最初は操作になれるまで時間がかかると感じるかもしれませんが、使っていくうちに実用性を実感できるはずです。
筆者は以前、妊娠中に体重が重いご利用者様をどうしても移乗しなければならない状況に遭遇しました。この際、お腹の赤ちゃんへの不安があったためリフトを活用し、筆者自身も安心して移乗できたことで大変助かりました。
人材不足に悩む介護施設にとっては、少ない人員で効率良く安全なケアを提供できるため、リフト導入のメリットはさまざまな面で大変大きいと言えるでしょう。
まとめ
ボディメカニクスを応用した介助方法について正しく実践することで、介助者とご利用者様双方の負担が軽減され、安心かつ安全なケアが実現できます。
支持基底面を広く取る、重心をご利用者様の重心に近づける、大きな筋群を使うなどの基本原則を意識しながら、日々の介助に取り組みましょう。
介護現場では忙しく時間に追われがちですが、何よりもご利用者様の安心を最優先する姿勢が大切です。丁寧な声掛けや安全確認を心がけ、必要に応じて福祉用具も活用し、より質の高いケアの提供につなげていきましょう。
この記事を書いたのは・・・
椎野みいの/Webライター
保有資格:作業療法士/福祉住環境コーディネーター/福祉用具プランナー/認定心理師
病院、介護老人保健施設、リハビリ専門学校を経て、現在は特別養護老人ホームにて機能訓練指導官として勤務中。